最期に向かっているのか?

「そろそろブログの紹介ページに登録しよう」「YouTubeを始めよう」「Google AdSenseに申請してみよう」とか考えていたので、ここにあまり書くつもりは無かったのですが、自分の気持ちの変化と家族との関係を後で振り返ることができるように書いてみることにしました。こういう場所で書かない限り続きそうもないので。

2年前、母が救急車で運ばれました。

それまで「体調が悪そうだな」という期間が何ヶ月かあったのですが、これまでの習慣としてあまり病院へ行くことが無かった為、この時も行きませんでした。
LINEで母が病院へ行ったことを知り、「どうしたの?」と聞いたのですが、父からは「後で話す」とのこと。
この時、私はあまり深刻に考えていなかったのかもしれません。無理やりにでも早めに病院へ連れて行くべきでした。

病名は書きませんが良く聞くもの。この時の落ち着かなさは今でも忘れません。

ただ、「現代の医療だったら大丈夫だろう」という気持ちもあったのですが、2年間、投薬をしたものの効果はありませんでした。
もしかしたら投薬した結果、ここまでもったのかもしれませんが。

今は治療を諦め、「緩和ケア」というフェーズに入りました。「緩和ケア病棟」という治療ではなく痛みを和らげる目的の病棟に入っています。
「緩和ケア病棟」は面会の時間の制限はありません。

私としては治らなかったとしても楽しく過ごせる時間を増やしてあげたいと思っているのですが、本人は緩和ケア病棟に入ったことでショックだったに違いありません。自分自身のことではないので想像でしかありません。

「緩和ケア病棟」はあくまでも「緩和」が目的の為、最期まで居ることはできないそうなのですが、1、2ヶ月の内に緩和ケア病棟を出ないとイケナイことになったそうです。そう、「なったそう」です。

何と昨日、私を除いた家族、お医者様、アドバイザー(?)の方とそういう話し合いがあったとのこと。なぜ、そんな大事な話し合いがあること教えてくれなかったのか。変に気を遣われたのか役に立たないと思われているのか。
だんだん性格が歪んできてしまったのかもしれません。

来週、また話し合いがあるそうですが、話を聞いた限りでは既に決まったことの確認でしかなさそうです。そんな話し合いに参加する意味があるのか?

法律で決まっているのかもしれませんが、緩和ケア病棟から別の施設に移される母の気持ちを考えると、別の施設への移動は同意できないですね。
事あるごとに「ご家族の総意」という言葉を使われますが、父には「私は反対です」と伝えました。父も疲れていて可哀そうではありますが。ホントに申し訳ないです。

そんな話し合いが進んでいるのですが、母から「前よりもたくさん食べられるようになった」「足を動かして歩けるように頑張っている」…母の「自宅に戻りたい」という気持ちを考えると、せめて今の場所に留まれないものなのか。

今日母から「病院で出るオニギリでは少ないから、もっと食べたい」「たくあんを食べたい」というリクエストがあったので、明日は土鍋でご飯を炊いてオニギリを作って持って行こうかと思っています。ご飯を炊くこと自体、台風以来ですが、オニギリを作るのは何年ぶりでしょうか。
「たくあん」は高級なスーパーにでも行って買ってこようかな。

「心のバランスを保つ為」という言い訳ですが、お見舞いに行っている時以外は楽しいことを考えたいと思っています。そうでもしないと辛いだけ。

altivec

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